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2025年1月4日土曜日

40歳

 

たぶん酒飲んでない日ない

このブログをこんなに放置したのは初めてだと思います。昨年の一月にほぼDIYで改装したスタジオを開業して、一年間ブログのネタになる事はたくさんありましたが、書く気力と余力が全くありませんでした。

ステージ側ビフォー


ステージ側アフター



が。


2024年は今までの人生で一番濃い一年だったと思います。そして今から書く事はものすごいネガティブな内容に聞こえるかもしれませんが、あまり心配はしないでください。あくまで将来の自分が見た時用に書くので、極力客観的に書いた記録です。


カウンター側ビフォー

カウンター側アフター


※そして写真と内容が全くリンクしないと思いますが、そのギャップも全て記録です。



初めてのイベント満員状態


初めてのカウンター満席状態

テーブルと壁カウンター増やした

団体で賑わうと嬉しい


まず昨年一年を一言で表すと…


「不」


①お金の「不安」


去年の8月にスタジオを始めるにあたって沼津信用金庫から諸々合わせて300万円ちょっとの借り入れをました。そこから不動産契約と一月のオープンまでの約四か月分の空家賃と返済でどんどん無くなり、オープンまでの工事費でおそらく100万円ほどが無くなり、気がつけばオープンの時点で残り100万円くらい。そこからまだまだ軌道に乗ったとはとても言えず赤字が続き、気がつけばもう「え!?」というくらいの残高になっていました。


SNSの投稿や、地元の広報誌に取材されたりもして「順調そうだね」と言われたり、そう見えるかもしれませんが、実際は違います。

とにかく日々減っていくお金と、そこをどうしていくかの葛藤がとにかくすごい。この歳で結局最後に頼れるのは両親と言う情けなさの極み。


夜のバー営業ノーゲス記念

ライブ中のPAは仕事感ある。


②人間関係の「不信」


お店を初めて、今までないたくさんの人達とお付き合いをする事になりました。その中で良好だった関係性が変わってしまったり、応援してくれてた人が離れてしまったり、お店どうしの付き合いとかでも、自分にネガティブな出来事への耐性があまりにも無い事に気づきました。当然ですが、自分で招いている事です。商売してたら当たり前の事なのかもしれないけれど、ここにきて自分のメンタルの弱さを痛感してます。たぶん今までは自分の事好きでいてくれる人としか接してこなかったんだと思う。恵まれた友人関係だとも改めて思いました。


親友が来てくれた。


バー営業100日ノーゲス記念

もちろん応援し続けてくれたり嬉しい事言ってくれる方もたくさんいます。でもその事への感謝よりも、嫌われる不安の方が頭の中を支配してしまう。誰の何を信じていいのかわからない。人が離れていく感覚がとても辛い。お客さんなのに恨むような気持ちがわいてしまう。距離感を間違えてしまったとも思う。もう一度オープンからやり直したい。


お客さんが撮ってくれた

③身体の「不調」


①②の精神状態もってして、そこにDIYでの夜間工事や深夜のバー営業など、一年くらい続く不規則な生活で自律神経が乱れてしまったんでしょう。全身の倦怠感と肩こりや痛み、腕の痺れなど。寝ても回復しない、むしろよく眠れない、かと思ったら寝過ぎてしまう、そうなると今度は布団から起きれない、、寝転んだまま動けない午前中がとにかく地獄。。年齢の衰えも相まってか、今までにないような身体の不調がずっと続いています。改善を見込んで漢方薬や整腸剤、塗るマグネシウムなど、色々やってはみてはいますが、根本的な解決に至っていません。


タイミーでマックのデリバリーバイト

思えば電気工事職人の時は、精神的には相当キツかったんですが、肉体的には朝早く起きて太陽浴びて身体動かして労働してお昼ごはんちゃんと食べてっていう非常に健康的な生活リズムだったんですよね。だから疲労感はあれど謎の倦怠感みたいのはなかった。

…なんて事まで思ってしまうナイモノネダリ思考で、我ながら笑ってしまう。


職人を目指して燃えていた頃

④「不甲斐ない」自分


とにかく考えて動いて「稼ぐ」しか選択肢はない状況なのに頭と身体がついてこない。にも関わらず不安をごまかすように増えてしまう飲酒喫煙。運動不足。雑な食生活。やるべき事、やらねばならぬ事はたくさんあるのに、手をつける事が出来ない。こんな不甲斐ない自分を唯一見捨てないでいてくれるのが、両親と、妻のなつみさん。特になつみさんにはほんとに苦労をかけてしまっている。普通の人だったらとっくに愛想尽かすと思う。早く恩返しがしたい。なのにそれどころか、日々の感謝すら表現出来ていない。


イベントの時は手伝ってくれる

誕生日ディナープレゼント



以上、めちゃくちゃネガティブな内容になってしまいましたが、これも人生。これが人生か。YouTubeで「うつ病」「自律神経」などの動画ばかり見てしまう。


40年間、人生を左右する大事な場面で頑張ってこなかったツケが一気に来ているように感じます。そして今が一番大事な場面でもある。

とてもじゃないけどそんな時を乗り越えられる身体と心の状態とは思えないんだけど、最後の力を振り絞って、頭でちゃんと考えて、やれる事をやろうと思います。


バンアパ原さんに会えた

レガーロ小倉シェフにも



いつか、振り返った時に笑える時が来る。

いつか、今の自分を褒められる時が来る。

いつか、そんな日が来るのを信じて。


いつか…。


果たしてここは人生の頂点なのか、底なのか。
























2022年12月31日土曜日

2022年 38歳 ブログ開設10周年 〜このブログの通な楽しみ方〜

気がつけば伊豆に移住して12年。
このブログを始めて10年が経ちました。

(元々始める時に仲の良い友達数名だけにしかこのブログの存在は教えてなくて、それ以来本音を吐露する場になっていたのですが、それがSNSとは違うモチベーションになって継続に繋がったような気がします)



飽き性な僕がここまで続けられたのも、そんな投稿を見てくれていた皆様のおかげです。リアクションはほとんどありませんが。笑(※でも更新すると10くらいアクセスあるので、きっと貴方がその中の一人です。笑 が…!!もはや誰に見られてもいいや的な感覚になり、遂にインスタで公開…!!加齢と共に色んな事がどうでもよくなってきた。笑)

ここでそんなレアな読者の皆様に、このブログの更なる楽しみ方をひとつお知らせさせて頂きます。笑

きっと皆さんスマホで閲覧していると思うのでまずこの画面だと思うのですが…




一番下にスクロールしていくと…
↑このマーキングした所!!

ウェブバージョンを表示と言う所があるんです。

クリックするとウェブ版ブラウザに変化してこのようになります↓



実はココがミソで、年代テーマに沿ってしっかりカテゴライズされているのです!!笑

ちなみにこのテーマと言うのはは前身のブログが「伊豆玉葱地所(辞書)」と言うタイトルだったので、辞書のようにABC…順でインデックス化してある訳であります。笑
(先のブログであげた[G]ourmet タグもここにあります。)

年代は文字通り僕が伊豆に移住してからの重要な出来事が刻銘に記されております。(もともとシークレットにしていたような話題も、もはや誰も見てないとの事で全部赤裸々に公開しております。笑)

スマホ版ブラウザだとこのカテゴリーが見れないのですが、ウェブ版ブラウザにすると見れるのでぜひご活用ください!(あまりいないと思うけどPCの方はそのまま見られます)

YouTubeにかまけて更新が滞っていたこのブログ…実はリアルな時系列は前後しますが後述で新たにアップしたりしているので、このウェブ版ブラウザで年代テーマを駆使してヒマな人は見てみてください。笑

あとちなみに↑の丸でマーキングした所は、来るべく時に備えて(いつ来るんだ??笑)ミュージシャンのホームページらしくしたかった部分で、スマホ版ブラウザでもココから見れます。




…と言う事で。

まさに誰得の情報でお送りしましたが。笑

これをもちまして2022年の締めくくりのご挨拶とさせて頂きます。

2023年からは更なる変化をこのブログ兼ホームページでお届けできるよう邁進しますので、どうぞお付き合いのほどよろしくお願いします。

マサオニオン

2017年4月4日火曜日

2011年 27歳 暗黒の一年 ~人生初の愛憎劇~

※初めに言っておきますと「暗黒の一年」っていうとなんかものすごいようですが、
はっきり言ってたいしたことないです。笑
ただ当時そんな心境だったことは確かです。


それでは本題へ…


年末の揉めたものの、僕は彼女のS子をうまくやっているつもりでした。
部屋の模様替えなんかもして、すっかり伊豆の生活を楽しんでいました。

楽器部屋も…

生活部屋も…
 
春の訪れとともに、桜デートなんかしてうつつ抜かしています。

河津名物「河津桜」

伊豆高原「さくらの里」

手作り弁当なんて持参しちゃってね~



…と、ちょうどこの後くらいからです。
S子の様子がおかしくなってきたのです。

なんとなくちょっと冷たい。なにかと不満を口にすることが多くなった。
以前と違い、僕と休みの予定を合わそうとしない。

こういったことが重なり、また徐々とエスカレートしていくにあたり、ぼくは辛くて一人で海なんて見に行きました。笑


そしてついに人生初の禁断の行為をしてしますのです。季節はたしかちょうど梅雨の終わりくらいでした。


そう、お風呂入ってる間に、携帯を見る。笑


そして文字通り、頭が真っ白になりました。
はっきりとは覚えていないけど、こんなメールでした。※当時まだLINEとか無いです。


僕と予定を合わせなかったとある夜に…

浮気相手M「今どこ?」
S子「もうすぐ着くよ。」


そしてその後がこちら。

浮気相手M「朝ごはんありがとう。幸せだったよ。」


はい、終了。笑

風呂上がりの彼女にいきなり「はい、さようなら~」っと言って、荷物をまとめて今すぐ家から出ていくよう言いました。

「は??何?何?意味わかんないんだけど。」と困惑するS子に、僕は言いました。

「じゃあ浮気相手Mって誰?」

すると事情を察したS子は急に態度を変え、薄ら笑いで出て行きました。
そして、最後に捨てゼリフのように吐き捨てたのです。


「自分だって女友達たくさんいるじゃん!!」


そう、S子はとっくの昔にぼくの携帯見ていたのです。笑

でもなぜかこの一言が、僕にはとても重くのしかかりました。

さらに年末の出来事をずっと許すことができないし、それのせいだとも言われました。
そしてなぜかこう思いました。「悪かったのは自分なのだ」と。




そうして、ここから人生初の愛憎劇が始まるのです。

あなたのまわりにもいませんか??
とっとと別れりゃいいのに、なぜか別れない二人。まさにあれです。笑

でも渦中の人間にしかわからない気持ちがあるんです。どこかで耳にしました。

人間の気持ちで一番強いのが「愛する」と「憎む」だそうです。

つまりそのふたつがゴッチャになっちゃって訳の分からない感情になっていろんなことをしてしまうのが、まさに愛憎劇なのです。

まずダメなのが、とりあえず、お互い携帯を見る。笑
良いことないんですよ、見たって。もめるだけですから。
…でもなぜだか、別れられないんです。

町の教会にこんな張り紙を見つけたけど、当時の僕ではだめでした。


夏にKSN氏が遊びに来て海行
った時も、なんとか彼女に復讐したくて、その一心で女の子に声かけました。もう本当に誰でもよかった。
 
でもそーゆーときは何やってもダメなんです。


もしかしたらS子は僕の貯金通帳すら見ていたかもしれません。
お金が無さ過ぎて将来が不安とも言われました。

そりゃそうだ。ただでさえお金ないのに、ローン組んじゃったし。

そんな感じで「自分は一体何をしに伊豆に来たんだろう?」って思って、また一人で海に行きました。

別れたい。でもなぜか別れられない。

もう一度音楽機材揃えて、宅録再開しようと思い秋葉原まで行くも、お金無くて全然買えない。
  
そんな調子で秋が過ぎ、冬を迎えても、気持ちは変わらずずっと暗いまま。本当にこの時間が長く長く感じました。

別れたい。でも他に好きな人ができる感じがしない。
←そんなわけないけど、当時は愛憎劇の最中でそれが分からない。笑




そんな調子で年を越して少し経った頃、ふと救世主のような人が現れたのです。

それが、中学の同級生だったけど、当時あまり喋ったこともないC木K子さん。
mixiで「久しぶり。マサオニオン君って今なにしてるの?」みたいな連絡くれたのです。

S子に内緒で二人で会いました。

するとK子さんの職業はアパレルだし、しかも彼氏に浮気されて別れたばかりだったのです!
僕はその瞬間、K子さんが好きになっていました。笑


そして帰宅すると、S子にこう言われました。

「携帯見せて」

「嫌だよ」

僕はそう言うと、S子はそのまま出て行きました。それが別れの瞬間です。
そしてその後分かったことがあります。


愛憎の「愛する気持ち」が無くなれば、「憎む気持ち」も消えました。

それはそれは、もうビックリするほどきれいサッパリと。



そして僕はアメブロの「Life Izu Acoustic」を削除し、2012年の4月からこのブログで再開するのです。削除の理由は、単にS子との思い出が詰まったブログを続けるのが嫌だったからです。
今にして思えば、当時のそのままの思い出としてとっておけばいいのに、本当くだらないに理由で削除してしまいました。笑


その後、K子さんとはお付き合いすることになりませんでしたが、辛い時期を終えるきっかけをくれた事に感謝しています。ここでの感謝はK子さんの事も入っています。

そして愛憎劇を繰り広げたS子にも感謝しています。
幼い恋愛体験を卒業することができたからです。いわゆる学生的な「恋愛」の最後の人だったと思います。
もう人の携帯を見たいとは思いません。笑
その後彼女は僕と別れてほどなくして別の人と結婚し、子供が生まれたのですが、その時心から「お幸せに」と思いました。


そして、一連の愛憎劇のきっかけとなった年末の出来事


このとき連れてきた会社の子こそが、今の彼女であり、婚約者です。(右)



ちょうどその時の写真です。
これがきっかけでS子との関係が悪化し、浮気が発覚し、色々と辛かった時期には「なんであの時会社の女の子を連れて行ってしまったんだろう」と自分の行動をとても後悔しました。

でも、今にして思うとS子と別れてお互い本当によかったと思います。
自分で言うのもなんですが、本当に素晴らしい人に、あの時すでに出会っていたのです。

なんかそう思うと、人生何があるかなんて、本当分からないもんですよね。



…そしてもうひとつ、お金の問題。

S子と別れたこの頃、アパレルの安い給料に車のローンなどもあり、一人暮らしの生活が厳しくなっていました。実際22時半~24時まで、パチンコ屋さんの掃除のアルバイトなんかもしていました。


そんな僕を見かねた親が、特別に融資してくれたのです。その額なんと200万円。
「4兄弟の兄達にも、結婚するタイミングで渡してきた。正雄には先に渡すから大事に使いなさい。」と言って振り込んでくれました。

僕はいつまでも自立できない自分が情けなくて、また、いつまでも子を想う親の優しさを感じて涙が出ました。
本当に助かりました。感謝の気持ちを綴り、初めて両親に手紙を送りました。

ところが、その後はこのブログをみていただければ分かる通り…


見事に使い果たしました。


すぐに車のローンの残金をまとめて返して、100万ちょっと残ったはずのお金が、ドラム買ったりなんだりですっかり散財し、30歳になる頃にはすでに底を尽きてしまいました。
その間に店長になったりしてお給料も少しずつ上がり、その後はなんとか生活できていますが、本来であれば結婚資金など、大事な時までにとっておくべきお金でした。


とてもお恥ずかしい話ですが、これは告白しておく必要があると思ったのです。
(笑)ってつけたいけど、笑えないと思います。


でも、伊豆に越してから今までの色んな事を整理して告白する事で、なんとなく清算できた気がします。笑


これからまた新たな気持ちでよろしくお願い致します。


2017年 春 マサオニオン